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森田療法と大脳生理学(2)神経症克服と森田療法の「あるがまま」

 さて、前節の森田療法と大脳生理学(1)で神経症の原因を述べましたが、この説では克服方法として森田療法でいう「あるがまま」について論じます。


その前に、前節の原因論とも関することで森田が言う「感情はコントロールできない」ということについて付言いたします。「感情はコントロールできない」というと、そんなことはないと反論される方もおられると思います。実際、私たちは泣いたり、笑ったり、あるいは怒ったりという感情を押し殺さねばならない場面に遭遇することがあります。例えば、おめでたい席でうれし涙は別として場を白けさせるような涙は禁物です。葬儀の場で笑うのもご法度でしょう。大勢の前でひとり怒りをぶちまけるのも大人げないことです。こういう場合、私たちは感情を抑制しようとします。しかし、この場合の抑制というのはどういうことを言うのでしょうか。私たちは意識的に涙を堪え、笑い顔や怒った顔を平静に繕っているのではないでしょうか。つまり、感情そのものを抑制しているのではなく、制御可能な涙腺や表情筋を制御しているのです。ですから、廊下に出た途端に涙があふれ出したり、吹きだしたりということにもなります。また、怒りがいつまでも続いてむかむかすることにもなるのです。つまり感情をコントロールすると言っても表面的にしかすることが出来ないのです。

人間の感情は大脳辺縁系によって作り出されていると述べました。大脳辺縁系の中で不安や怒りの感情は扁桃体によって作り出されていることはほぼ分かってきましたが、悲しみや笑いの感情はいまのところどこで作り出されているのは定説がありません。悲しみや笑いの感情は人間的な知能が無くては作り出せないものですから大脳皮質に近い帯状回か、その近辺にあるだろうと推測されます。いずれにせよ大脳辺縁系は古い脳とも呼ばれるように前頭前野などに比べてかなり古いものですから、新参者の前頭前野では太刀打ちできません。ですから、制御がしやすい運動系の筋肉を制御して感情を抑制するかのように誤魔化しているのです。

とくに日本人は感情を抑制しようとする傾向が強いと言われます。「精神一到何事かならざらん」と言うように精神(心)を鍛えれば不可能も可能になるという伝統的な精神論が大きく影響しているのかもしれません。日本人は源氏物語などにも見られるように古来から心の動きに敏感で強い関心と観察力を持っていた民族です。そのDNAが精神(心、感情)をあやつろうとさせるのかもしれません。

いずれにせよ、前頭前野が大脳辺縁系の作り出す感情を制御することは不可能です。これが森田が言う「感情はコントロールできない」ということで、前節で述べたように前頭前野が扁桃体に闘いを挑んでも適わないのです。このことが分からないと、これから論じる「あるがまま」ということも理解できません。

さて、前節において、扁桃体が「不安」という警戒信号を発すると前頭前野は大きく分けて2つの違った反応をすることを述べました。順応反応と敵対反応でした。順応反応が健常者(正常者)の反応で、敵対反応が神経症者の反応であることも述べました。
ここで順応反応というものを少し詳しく見てみましょう。
扁桃体が不安という警戒信号を発すると、前頭前野はこの信号を受けて、この信号にどう対応するかを判断します。扁桃体が発する警戒信号は人間にとって永い間生命にも関わる重大なものであったうえに極めて強いものですので前頭前野は無視することは出来ません。前頭前野は、いやおうなしに扁桃体以外の五感から送られてくる様々な情報も分析して、これにどう対処し、行動するのが最善の道なのか選択せざるを得ません。その結果、前頭前野が妥当な選択をすれば、扁桃体も安心して警戒情報を解くことになります。もし妥当な選択をしなければ、扁桃体は再び警戒信号を送ることになるでしょう。このようなプロセスは通常、意識に上ってきません。不安という警戒信号が強く意識されたり、瞬間的に脳裏をかすめたりすることはあるかもしれませんが、前頭前野がどれが最善の道なのかを選択している作業は全く意識に上ってきません。

以上のことを、具体的な例として、これから大勢の人の前で話をしなければならないという緊張の場面を例にして説明してみます。
この場合、扁桃体は、なんらかの警戒信号を送ってきます。この警戒信号に具体的なメッセージがあるわけではありませんが、「話がとんちんかんになって、皆の前で恥をかくようなへまをしやしないだろうか」と心配しているのだろうと考えて下さい。重要な会議などであれば、この警戒信号はより強く意識されるかもしれません。気楽な集まりであれば意識にも上って来ないかもしれません。この信号を受けた前頭前野は、「話がとんちんかんにならないように、よく話したいことの内容を整理し、分かりやすく順序立てて話が出来るようにきちっと準備しよう」などと前向きに考えます。このプロセスは意識されませんが、扁桃体はしっかり感知しています。そして、それが扁桃体を満足させるような方向に動いていることが分かると、扁桃体は「これでよし」と安心して警戒を解くのです。

これに対して、神経症者が陥る敵対反応というのは次のようになります。
扁桃体から、なんらかの警戒信号が送られて来るのは同じです。しかし、これからの反応が上の順応反応と全く違います。前頭前野は、この警戒信号を異物視します。つまり、自分にとっては不都合で排除しなければならないものとみなすのです。森田はこれを「異物視する」「異常視する」あるいは「とらわれ」などとも表現しました。すると、前頭前野は警戒信号そのものを邪魔者扱いし、抑制しようと必死の闘いを挑むことになります。これが敵対反応です。ところが、扁桃体は前頭前野がかなうような相手ではありません。簡単に跳ね返してしまいます。それでも、前頭前野が執拗に攻撃を繰り返して来るとついに怒り出します。この結果、扁桃体は過活性の状態に陥って、手が付けられないようになってしまいます。このように前頭前野が敵対反応を繰り返し扁桃体を過活性にしてしまうプロセスが森田が言う「精神交互作用」です。こうなると、前頭前野はお手上げ状態になって、正常な判断が出来なくなってしまいます。これがいわゆるあがった状態や頭の中が真っ白になる状態で強烈に意識されます。こうなると、もはや前頭前野は正常に機能することが難しくなってしまいます。その結果、皆の前で立ち往生するということにもなるのです。

つまり、健常者も神経症者も、同じ警戒信号を受け取りながら、その処理が異なるのです。
すなわち、順応反応においては、この警戒信号を良き忠告あるいはアドバイスと受け止めて前向きに処理するのに対して、敵対反応では、これをいわば煩い苦情あるいは苦言と捉え邪魔者として排除しようとしてしまうのです。
とすると、この敵対反応をやめさえすれば問題は起きないことになります。つまり、扁桃体から送られた警戒信号を異常視したり、異物視したりすることなく素直に受け入れれば良いのであって、森田はこれを「あるがまま」と言いました。
しかし、ひとたび扁桃体を怒らせ過活性の状態になると扁桃体から強烈な信号が送られて来ますから、これを「あるがまま」に受け入れろと言っても容易ではありません。簡単に出来ることではありません。しかし、森田はこれさえも「あるがまま」に受け入れろと言っています。ここが森田の考え方の最も難しいところで理解と実践に時間が掛かるところです。

森田は、「あるがまま」ということを、身に着けている衣類の例などを挙げてこれを説明しています。私たちは通常、なにがしかの重さの衣類を身に着けているわけですから、重さを感じようと思えば感じることが出来ます。しかし、普通に生活しているかぎり衣類の重さなど気にせず暮らしています。このように重さがあるのに感じないで生活していることが「あるがまま」だというのです。
また、不安や恐怖になりきることも「あるがまま」だと言っています。つまり、敵対反応によって過活性になり手が付けられなくなった状態の扁桃体をも「あるがまま」に受け入れよと言っているのです。そして、「あるがまま」に徹すれば、とらわれもはからいもなく、いわゆる精神交互作用も起きないと言いました。

私は、「あるがまま」ということを剣道の防具を例えにして説明することがあります。剣道の防具に慣れない人が身に着けると結構な重さがあるのに驚かされます。よく、こんな重い物を着けて稽古や試合が出来るものだと思います。しかし、ひとたび稽古に打ち込んだり、試合の場に臨んだりすると、この重さを気にする剣士は一人としていないでしょう。防具の重さを当たり前のこととして受け止めているのです。これが「あるがまま」ということです。それに対して、その重さを嘆き、大きな障害物だと絶えずとらわれていたらどうなるでしょうか。試合で勝つことはおろか、稽古で上達することも望めないだろうと思います。

この「あるがまま」ということは、なかなか理解が難しいものですが、大脳生理学的には扁桃体がどういう状態であれ、それに逆らうことなく、受け入れるということです。しかし、扁桃体がかっかと興奮した過活性の状態にあって強烈な信号を発しているときに、これを受け入れるということは容易なことではありません。なんとか静めたいと抑制(敵対)に走るのも分かります。

森田は、この「あるがまま」を実践するには、「目的本位」に考え、行動することが大切だと言います。「目的本位」とは、自分が何を目的として行動しようとしているのかを意識するということです。別の言葉で言えば、合目的的ということです。剣道の例で言えば、稽古で上達し、試合に勝つことであって、防具の重さを感じないようにすることではありません。人前で話すことを例にすれば、きちんと自分の考えを伝えることであって、あがらないようにすることではありません。

この「目的本位」ということは、とりもなおさず前頭前野を正常に機能させるということにほかなりません。健常者の順応反応では前頭前野が最善の道を求めて選択することを述べました。これは前頭前野が自然に「目的本位」(合目的的)に機能しているということです。 しかし、ひとたび神経症になると、前頭前野が自然に「目的本位」に機能することが難しくなりますから、意識的に「目的本位」へと機能させる必要があるのです。 つまり、神経症を克服するには扁桃体が送る警戒信号を「あるがまま」に受けとめる必要があり、「あるがまま」に受けとめるには、前頭前野を「目的本位」へと機能させることが必要になるのです。

森田療法では、入院を必要とするほど重篤な場合には臥褥(がじょく)療法を用います。これは入院してからしばらくの間(通常は5日間程度)ひたすら何もせずに横になっているように指示されます。神経症で疲れ果てた患者はしばらく昏々と眠る場合もあるようですが、5日間も何もしないで横になっていると飽き飽きとしてきます。そして、何かをしたくてうずうずするようになってきます。それまで機能しなくなっていた前頭前野が活発に機能し始めたのです。そうすると患者は床を離れることが許され軽作業をすることも許されます。そして、徐々に前頭前野を正常に機能させるよう指導を受けることになります。この場合の正常に機能するとは、「目的本位」に機能するということです。

森田療法では、「あるがまま」ということが、その治療法の代名詞のように言われています。しかし、「あるがまま」は前頭前野を合目的的に機能させる「目的本位」という考え方と表裏一体のものです。けっして「あるがまま」と「目的本位」は切り離すことが出来ません。
このように、森田療法は、「あるがまま」と「目的本位」を柱にして神経症を治療して行きますが、これを大脳生理学的に言えば、扁桃体の警戒信号を敵対せずに受け入れ、前頭前野を合目的的に機能させるということになります。

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