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体験談

うつ- 50代男性 会社員

 わたしは学生時代には野球部で活躍したこともありましたし、職場ではムードメーカー役を買って出たりしていましたから、自分では性格的に明るく、うつ病などとは無縁の人間だと思っていました。
 それが一転したのは、ある外資系の証券会社へ転職してからでした。それまで25年間をある大手の銀行で過ごしましたが、銀行は自分の将来が見えるのが早く、大した出世は望めないことが分かりましたので、早々に転職したのです。その会社には、よく知っていた先輩が転職していたことから、仕事のことなど聞いていて興味がありました。もっとも、先輩は必ずしも転職を勧めていたわけではありませんが、わたしには給与面などで、前の会社より魅力を感じていたのです。
 しかし、転職してから、先輩が余り勧めていなかった理由がよく分かりました。すべてが実績主義で、最初から高いハードルが設定されていました。そのハードルを越えれば高い給与が保証されているのですが、ハードルを大きく下回れば、給与は前の会社以下で、しかも下手をすればクビになってしまうのです。これはある程度、予想もし、覚悟もしていたことでしたが、実際には想像した以上に厳しいものでした。入ってから、後悔しましたが、先輩にそれを言えば、きっと「それ見たことか」と言われるに決まっていると思って、本当のことは言いませんでした。妻やこどもたちは給与が増えるということを喜んで、転職に賛成してくれましたから、弱音を言うわけにもゆきません。
 回りの同僚は、銀行や証券会社からの転職組がほとんどで、その多くが留学組でした。わたしは5年近くアメリカの支店で勤務したことがあり英語には自信がありましたが、留学でMBAを取った連中には、仕事で圧倒されて自信を失っていました。それまで仕事で負けたことはなく、自信がありましたから、これはショックでした。しかし、それを撥ね返そうと必死で仕事をしました。深夜の一時、二時くらいまで会社に残るのは当たり前で、一年間はほとんど休みらしい休みを取ったことがありません。その甲斐もあって、一年目の成績は悪くなく、なんとか高いハードルを乗り越えることが出来ました。しかし、二年目に入って間もなく、先輩が体調を壊して会社を辞めてゆきました。過労が原因でした。わたしはこれが他人事ではなく、明日は我が身という気がしてショックを受けました。少しばかり気が許せる先輩が居なくなってみれば、あとの周りは熾烈な競争相手ばかりで、相談する人間もいなくなってしまいました。昔の銀行の同僚が懐かしくなって一緒に酒を飲みに行ったりしましたが、本当の悩みは口に出せず、むしろ仕事が順調で、給料も高額だなどと強がりを言ったりしていました。ところが、実際は一年目を必死に乗り越えた反動からか、成績が落ちる一方で、これではいけないという気持ちだけが空回りしていました。何をやっても駄目だという無力感と、将来に対する不安を強く感じ始めました。しかし、自分はうつとは無縁の人間と思い込んでいましたから、これがうつの前兆だと考えることもありませんでした。仕事は相変わらず残業の連続でした。ところが、ある朝、電車の中で激しい心臓の痛みに襲われました。異変に気が付いた乗客が親切にも停車駅で駅員に通報してくれて、都内の病院に救急車で運ばれました。
 ところが、精密検査を受けても心臓に異常が見つかりません。医者に残業のことや休みが無いことなどを言いますと、疲労とストレスによる一過性のものだろうと言います。しかし、原因がよく分からないというのが気になりました。それからは、また通勤途中で同じことが起きはしないかと電車に乗るのが怖くなりました。いわゆるパニック障害です。しかし、いわばこれは表面上のことであって、もっと深刻なうつが、その背後で密かに進行していたのです。わたしはパニック障害のせいにしていましたが、実のところ、仕事に手が付かない状況になっていました。やらなければならないことが目の前に山ほどあるのに、どれから手を付けたら良いのか、頭が混乱したようになって手が付けられないようになっていました。それまでは簡単に手が付けられたものが、出来ないのですから、わたしは自分の頭がおかしくなったのだと思って、これもパニック障害のせいにしていました。
 やがて会社に出ても苦しいばかりになりましたから、思い切って休むことにしました。このときの敗北感は相当なものでした。もうこれで自分もおしまいかと思うと、なんとかしなければと思う焦りがありましたが、一方で何も出来ない自分に絶望していました。わたしは、すべてはパニック障害に原因があると思って、いくつかの精神科やクリニックに通いました。いずれも、わたしが思ったとおりパニック障害の診断で、薬も貰いました。確かに、それで一時は精神も安定し、不安が弱まったような気がしました。しかし、いつまで経っても、会社に復帰しようとする意欲が湧いてこないのです。焦りはあるのですが、その焦りは単に空回りするだけで、具体的に行動に結びつかないのです。
 それが三か月ほど続いたある日、わたしは人事部長に呼び出されました。ついに解雇です。これほど人生で奈落の底に突き落とされたような経験はありません。妻は心配もし、覚悟もしていましたが、やはりショックを受けていました。二人の息子はいずれも大学生になっていましたが、学費はアルバイトで稼ぐと言ってくれました。妻も慣れないパートに出ると言ってくれました。このときほど家族を有難いと思って泣いたことはありません。同時に自分の不甲斐なさにも泣きました。わたしは本気で死ぬことを考えていました。しかし、そのわたしを引き留めたのは、二男の一言でした。「パパがどんなになっても構わない。しかし、死ぬことだけは絶対に止めてくれ。僕たちにはパパが必要なんだ」
 妻は、とにかくわたしの病気を治すことが先決だと言って、一緒に良いクリニックなどを探すことを手伝ってくれました。そのとき、このお茶の水メンタルクリニックに偶然出会ったのです。山村先生は、確かにパニック障害はあるけれども、もっと深刻なのはうつ病ではないかと言って、パニック障害の治療と併せてうつ病の治療を勧めてくれました。それまで、どの病院でもクリニックでもうつ病のことはほとんど指摘されませんでしたので意外でした。先生は、うつ病には薬が効くことが多いと言って、ある病院で投薬を受けることを勧めてくださいました。確かに、うつ病の投薬は効果がありました。パニック障害だとばかり思い込んでいたのも誤りだったと分かりました。しかし、投薬の効果は限定的で、あるときから余り効果があがらなくなりました。そこで、山村先生の治療を本格的に受けることにしました。
 先生からは家族の協力が不可欠だと言われました。幸い、妻にそのことを告げると、治療に協力してくれると言ってくれました。そして、妻も先生から一緒にアドバイスを受けることになりました。要は、それまで仕事に復帰しなければと焦っていたことを一旦白紙状態にしようと言うことでした。そして、まず、それまで空回りして疲れ切っていた脳を休めることから治療が始まりました。仕事人間だったわたしが仕事のことや就職のことを全く考えないということは、ある意味では辛いことでした。しかし、先生のおっしゃるとおり、仕事のことは一切考えずに、行ってみたい外国旅行のことや、やってみたい趣味のことなどできるだけ楽しいことばかりを考えて過ごしていました。実際、それらは定年になったらやってみたいと思っていたことばかりでしたから、頭の中で考えるだけでも楽しいものでした。一方で、こんなことばかり考えていて良いものかという気持ちもありましたから、正直に先生に話すと、それが几帳面で生真面目な性格の現れで、それがうつ病の原因にもなっていると言われて驚きました。先生によれば、うつ病になる人にはある共通した性格があるというのです。しかし、この性格は生まれ持ったものですから、そう簡単には変えられません。それを先生に言いましたら、そういう性格は世の中で成功するには必要で有用なものだから変える必要はなく、ただ、そういう悪い面も持っていることをよく認識して、場合によって制御してゆくことが大切なのだとおっしゃられたので納得いたしました。
 この性格は完全主義にもなって、何事にも正確さが求められた銀行では大いに役立ったのだと思います。それが運よく銀行時代には破たんせずに済んだということだろうと思いますが、行き過ぎた完全主義がわたしをにっちもさっちも行かない状況に追い込んだのだということがよく分かりました。制御できていれば、極めて有用な性格であったのですが、わたしはそれを制御できていなかったということなのです。
 先生のカウンセリングは、わたしの考え方を一変させるものでした。それまで、自分が信条とし、絶対的に信じ切っていた信念までも覆すものでした。というより、自分の信念の良いところと、悪いところを峻別することを教えていただいたと思うのです。
 自分の良いところと悪いところを見つめなおす良い機会にもなりました。先生の生活指導もあって、日常の生活も大きく変わりました。会社を休んでからは起きる時間も寝る時間もばらばらで、体調が悪いときは昼と夜が逆転したような生活を送っていたこともありました。しかし、人間の体、とくに脳には、一定のリズムがあって、これを崩すことが体にも、脳にも大変な負担を掛けるものだということも知りました。
 先生のカウンセリングで認識の誤りを正し、生活を一定のリズムあるものにしたことで、気分が随分と変わってきました。それまでは、何をやっても駄目だという喪失感のようなものに捉われていたと思いますが、少しずつ何かやってみようという気持ちに変わっていました。まずやったのは、妻に同行してもらって、今まで行ったことがなかった上海に観光旅行に行ったことです。これは大きな転機になりました。上海が素晴らしかったこともありますが、その素晴らしさを素直に受け止められるようになった自分に回復への手がかりを感じていました。それまでのわたしであったら、素晴らしい景色を目の前にしても、何の感動も無かったと思うのです。帰国してから、しばらくして、先生に再就職を探してもいいかと伺いますと、余り無理をしないように、とくに高望みはしないようにとの条件で許していただきました。しかし、年齢も、もう五十歳を過ぎて再就職にはかなり不利でしたが、先生のアドバイスに従って、無理をせず、高望みもせずに、1日1社と決めて紹介を受けたりしていました。探し始めて一ヶ月余りで、幸いある不動産会社が資金調達の専門家として採用してくれました。給与はとても前の会社や銀行には遠く及びません。役職もありませんでいたが、さほど気になりませんでした。もし、先生からわたしの性格を制御することを教えていただいていなかったら、きっと、不満ばかりが残って、もっと良い条件のところを諦めがつくまで探していたかもしれません。いまは、むしろ、この年齢で再び比較的まともな仕事に就けたことを喜んでいます。世の中には、再就職に恵まれない人はいくらでもいるはずだから、自分は幸せだと思えるようになりました。完全主義的で高望みする性格を制御することを学んでいなかったら、また、頑張りすぎてうつ病を再発することになったかもしれません。そういう意味では、先生には単にうつ病を治していただいただけでなく、人生の考え方さえも修正していただいたと感謝いたしております。
 
 

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