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体験談

震え、緊張-30代女性、会社員

わたしはもともと内気な反面、負けん気もあるという複雑な性格だったと思います。短大を出てから秘書の専門学校を出て、建設会社に入りました。秘書を希望していましたが、配属先は総務部門でした。会社の庶務的な業務を担当する部署で、社内外の人の出入りが多いところです。わたしが入社した頃は、女子社員は配属されてから後輩が入って来るまでお茶くみをさせられるのが慣例になっていました。さすがに最近は外部の重要なお客様だけにお茶を出すというように変わっていますが、当時は社内でも課長などの幹部クラスが来るとお茶を出していました。
職場に配属になって早々のことです。やはり社内の上の方が来られて、応接室で課長と打ち合わせをしておられました。わたしは先輩に言いつけられてお茶を出したのですが、初めてのことで緊張してしまいました。そして、こともあろうに打ち合わせのテーブルに置いてあった大事な資料の上にお茶をこぼしてしまったのです。慌ててハンカチで拭こうとしたものですから更にお茶碗を倒して大変なことになりました。しかも、ハンカチで拭おうとした資料を力余って破いてしまったのです。もうわたしはどうしたら良いのか分からなくて気が動転してしまいました。わたしは年甲斐もなく半べその状態でした。課長がその場を収めてくださったので、大事には至りませんでしたが、しばらくはそのことがトラウマのようになってお茶を出すのが怖くて仕方がありませんでした。しかも、このことは社内の女性社員の間に有名になって、「今年の新人はお茶もまともに出せない」というような陰口が叩かれていると同期の友人から聞かされてショックを受けてしまいました。
それからはお茶を出すときに緊張して震えるようになりました。最初は、応接室に入ってから震えたのですが、それが給湯室でお茶を入れている間に震え、やがて、お客様を見ただけで震えるというように悪化してゆきました。課長も、わたしが緊張してまた失敗しやしないかと心配したのでしょう。大事なお客様のときは先輩にわざわざ頼んでいました。これが屈辱的で恥ずかしいと思っていましたら、先輩たちが聞えよがしに「なんで、あたしがお茶くみしなきゃあならないのよ」と言うのが耳に入って来るのです。わたしはもういたたまれない気持ちでした。そのうちに、仕事に慣れて来てから仕事の進め方などで先輩と意見が合わないことがありましたら、「お茶出しひとつまともに出来ないくせに生意気言わないでよ」などと言われて、ひどく落ち込んでしまいました。そして、自分は人間失格だと思い詰める半面で、お茶出しくらいのことで、なぜこんなにも言われるのかと思うと悔しい気持ちもありました。負けん気もあったのだと思います。仕事では絶対に負けないぞという気持ちで人一倍頑張ったと思います。先輩たちがいい加減にやっていた伝票整理なども夜遅くまで掛かってきちっと整理したりしていましたから、上司から褒められたこともあります。しかし、これがまた先輩たちの反発を買うようなことにもなりました。職場には同期の同僚もいませんでしたし、しばらく後輩も入ってきませんでしたから、ひとり孤立したような期間が長く続きました。女子社員だけのミーティングなども頻繁にあったのですが、先輩たちには無視されたり、根拠なく反発されたりすることが多く、発言しようとすると緊張して震えるようになりました。そして、声が上ずるようになってみっともなかったものですから、よほどのことが無い限り発言するのを止めるようになりました。
入社して2年目のときに生まれて初めてお見合いをしました。都内のレストランで先方のご両親とわたしの両親が同席の形で食事をしながらという形でした。こういう堅苦しい場での食事に慣れていなかった所為もあると思うのですが、ナイフとフォークを持つ手が震えてお皿がカチカチと鳴るほどなのです。母が横目で注意するのが分かって余計に緊張してしまいました。それからはもう食事をするどころではなく、話も上の空になってしまいました。その所為かどうかは分かりませんが、この見合いは断られてしまいました。
それからは見合いはこりごりだと思って、話があっても断り続けていました。ですから結婚したのは30歳間近のときでした。夫は会社の先輩で一緒にスキーなどに行ってよく知っていました。以前から心を惹かれるところがあったのですが、話をしようとすると緊張してしまうものですから避けるようにしていました。それが彼にはわたしが慎ましく控えめに映ったようですから、何が幸いするか分かりません。彼の熱心な誘いがあってゴールインすることになりました。結婚に対する憧れもありましたし、年齢も三十歳になる前にと思っていましたからちょうど機が熟していたのだと思います。しかし、わたしは何事にもきちんとしていないと済まない質でしたので、彼のいい加減な性格が鼻につくようになりました。プライベートなことなので多くは申し上げられませんが、1年もしないうちに離婚することになりました。両親は彼のことを気に入っていましたから、猛反対されましたが、わたしは気持ちが冷め切ってしまいましたからどうしようもありませんでした。会社も居づらくなって辞めてしまいました。
前の会社にいたときに不動産関係の資格を取っていましたので不動産会社に再就職しました。街の不動産屋に毛が生えた程度の小さな会社ですが、人が少ない分、なんでも自分ひとりでやらなければならず忙しい反面、充実感のようなものもありました。一年間必死に働いていましたら、社長の目に止まったのか、いきなりある地区を担当するグループのリーダーに抜擢されてしまいました。うれしい反面、大変なことになったという気持ちでした。ほんの4,5人のグループなのですが、中にはわたしより年上の男性もいますし、年齢は若くてもわたしより経験豊富な者ばかりなのです。ですからグループミーティングなどしても知識不足や経験不足を指摘されるのではないかと常に緊張してビクビクしていました。なんとなくミーティングを開くのが嫌だということもあって、横の意思の疎通がうまく行かないことがありました。互いの連絡ミスで大きな契約物件を逃してしまったこともあります。社長からは大目玉を食らいました。このままではいけないと思い、なんとか緊張せずに仕事が出来ないものかとインターネットで調べていましたら、生活の発見会(注:神経症や恐怖症を森田療法で克服しようとする人たちが集まる自助組織)があって、集談会というものがあるのを知りました。心療内科やクリニックに行くのは抵抗がありましたから、こういうものがちょうど良いと思って、住まいの近くにあった集談会に参加しました。対人恐怖の方が多く、悩みや苦しみを伺っているうちに自分と同じような経験をしている人が多いことに驚きました。いままで人前で自分の悩みを話すなどということは一度もありませんでしたが、ここでは何を憚ることなく話せて、それだけで気持ちが楽になったような気がします。これなら自分の緊張も治せるのではないかと思い、毎月参加しました。森田療法関係の本も何冊か買い勉強しました。時間があれば初心者向けの勉強会などもあると知っていましたが、そこまでは時間がありませんでした。集談会で先輩たちの話を聞いたり、本を読んだりして、森田療法も分かってきたような気がしていました。仕事のうえでの緊張も以前ほどは酷くないように思えました。しかし、いまひとつ理解しきれていないのかいつまで経っても緊張から解放されないことに不満を感じていました。景気が悪い所為もあって、社長からの要求も次第に厳しくなって、ただでも職場で緊張を強いられるようになっていました。わたしは森田療法に言う「あるがまま」ということを実践しようと悪戦苦闘していたと思います。緊張や不安があっても、それを受け入れて「なすべきことをする」のだと言い聞かせながら仕事に立ち向かっていました。自分は森田療法をやっているから絶対に克服できるのだと言い聞かせていました。
ところが、あるとき集談会で対人恐怖を克服したという世話人の方が、「あなたくらいの震えは大したことはない。そう目立つものではないから気にすることはない」とおっしゃるのです。わたしはなかなか苦しみから脱出できなくて苦しんでいたときでしたので、大したことがないと言われて困惑してしまいました。気にすることはないと言われたことも、気にするのがおかしいと言われたようで自信が無くなってきました。このまま続けていて、いったい自分は克服できるのだろうかと疑心暗鬼になっていたときにお茶の水メンタルクリニックを見つけました。
 これまでのことを正直に山村先生にお話ししますと、わたしも世話人の方も肝心なところで勘違いしていると言われて目を洗われたような気持になりました。
 まず、わたしが職場で緊張から逃げずに「あるがまま」ということを実践しようとしていたことは非常に良いと褒めていただきました。しかし、緊張から逃れようとしている限り逃れることは出来ないとおっしゃいました。そして、すべきことに意識を集中することが重要なのだというのです。わたしがそれが難しいのですと泣き言を言いますと、誰も最初から出来るなら苦しむ人はいない。そういう意識でやることが大切で、緊張を取ろうとしてはならない。そういう意識でやってもなお緊張を感じることを「あるがまま」と言うのだとおっしゃいました。わたしは「あるがまま」と言いながら、緊張を取ろう取ろうと出来ない努力をしていたのです。「あるがまま」ということの難しさを痛感いたしました。
世話人の方については、本人が克服してしまうと、つい自分が昔苦しんだことを忘れてしまって、他人の苦しみを大したことはないと言ってしまうことがあると言うのです。森田療法をよく理解しないまま克服すると却って誤解を与えるような指導やアドバイスをすることがあるので、苦しんでいる人は混乱してしまう。先輩の言葉を鵜呑みにすると危険なことがあるとおっしゃいました。「気にすることはない」というのは、森田療法をよく分かっていない証拠で、一般の人のレベルだともおっしゃいました。
わたしは先生のお話を伺って目から鱗のような気持になり、先生のご指導を受けることにしました。そして、毎回、職場で自分がどのようにして克服しようとしているか細かくご報告しました。それについて先生が、何が良くて、何が悪いかを懇切丁寧にご指導くださいました。先生のお話は逐一本当に納得できるもので、わたしは徐々に間違った認識を改めてゆくことが出来ました。
お蔭で随分と気持ちが楽になりました。以前なら、翌日のミーティングのことを考えるだけで眠れないほど緊張していたのが嘘のようです。もちろん、翌日のことを考えてあれこれと悩むことはありますが、今はそれを当然のこととして受け入れることが出来るようになりました。仮に眠れない夜があっても、翌日の打ち合わせが極めて重要で大切な場合には、むしろ当然だと思えるようになりました。おそらく、それはわたしのように緊張に苦しんで来た人間ばかりでなく、健常者の方でも同じだと思うのです。それを先生に言いましたら、「そのとおりです。そう思えるようになれたというのはもう立派に克服できた証拠です」と言って褒めていただきました。わたしは嬉しくて、思わず目頭を熱くしてしまいました。
先生はよくちょっとした考え違いが大きな間違いを引き起こしているのが神経症の厄介なところですとおっしゃっておられましたが、今はほんとうにそうだと思えるようになりました。

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