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体験談

あがり恐怖-40代男性、会社員

 わたしは四人兄弟の末っ子ということもあって、小さい頃は甘やかされて育ったと思います。その所為か、いつまでも親や兄弟に依存することが多く、自分というものに自信が持てなかったと思います。学校の成績は小学校から良いほうでした。中学校のときには自分の弱虫を治そうと柔道部に入りました。柔道の腕は大したことはなかったのですが、皆と比べて成績が良かったことから副主将という大役を任されていました。二年生の秋には生徒会長を決める選挙がありましたが、柔道部は部費の大幅獲得を狙って、わたしを会長候補に推挙しました。我々の頃の生徒会長というのは成績もトップクラスで模範的な生徒が選ばれるというのが当たり前でしたから、わたしは絶対に選ばれないと高をくくっておりました。ところが、こともあろうに当選してしまったのです。このときのショックは言葉に言い表せません。毎週月曜日の朝礼では全校生徒の前で一週間の目標や先週の反省などを発表するのですが、これが苦痛で仕方がありませんでした。楽しいはずの日曜日も翌日の朝礼のことを考えると心配で眠れないこともしばしばでした。

 中学校を卒業して5年制の高等専門学校に入りエンジニアを目指しました。中学時代は体のハンデで柔道では大したことが無かったものですから空手部に入りました。熱心に稽古したお陰で大会での成績は常に上位でした。4年生のときには主将も務めました。エンジニアを目指して入学した高専でしたが、何か物足りないものを感じて、大学への進学を考えました。先生には理系の大学への編入を勧められましたが、文系に憧れて大学は文科系を受験して運よく受かりました。
 高専時代に空手で活躍したものですから、流派の上層部から大学にその流派の空手部を作るようにと要請がありました。勉学に燃え、アルバイトもしなければならなかったので初めは断っていましたが、再三の要請で断れなくなりました。中途半端な気持ちで始めた空手部でしたが、当時はブルース・リーの空手ブームで大量の部員が集まりました。するとやはり責任のようなものを感じます。流派は科学的武道を標榜していましたから、本部の師範の講義を聴くなどして、部員にも科学的武道とは何かを教えようとしていました。ところがあるとき、理解が生半可なところでつかえてしまい、頭の中が真っ白になってしまいました。何十人もの部員の前で何かしゃべろうとするのですが冷や汗が出るばかりで言葉が出ません。収拾が付かなくなって大恥を掻いてしまいました。それ以来、このことがトラウマになって部員の前でもっともらしいことを話すのが苦痛となりました。同時に、学科のゼミなどで発表するとなると大汗をかいてハンカチを握り締めていないと喋れないようになりました。卒業後は学者の道を考えたこともありましたが、人前で話すことに苦痛を感じるようでは無理だと諦めました。同じ理由で教師なども無理だと思いました。消去法で選んだのがサラリーマンです。世間知らずでしたから、サラリーマンなら人前で話すことも少ないだろうなどと馬鹿げたことを考えていたのです。ところが、会社に入って会議や発表会など人前で喋らなければならないことが多いのに驚き、裏切られたような気持ちになったものです。ですから、この頃から、会社を辞めて自分ひとりで出来る仕事はないかと考えていましたが、なかなかそういう道が見つかりませんでした。
 30代になってある大きなプロジェクトを遂行するために公的な会社に出向となりました。ここには大蔵省や運輸省、建設省のような中央省庁と大手の銀行やメーカーから多くの若手が出向していました。こうした出向者は出身母体によって考え方が大きく異なるのに驚きました。わたしは、この会社でまとめ役の立場を務めることになりましたが、会議をしても紛糾することが多く疲れ果てました。もともと会議で発言するのは苦痛でしたが、意見がまとまらなくなってくるとどうしようも無くなってしまうのです。発言しようとすると緊張して震えが来るようになりました。いざ発言すると頭が空転するような感じになってしどろもどろになることもしばしばでした。大きな会議の前になると予期不安で夜も眠れなくなりました。もう、会社を辞めたいとも思いましたが、辞めても生きる術がありませんでしたから、そうもゆきませんでした。以前から、自分の苦しみが神経症なのだということを知っていました。神経症を克服するのに森田式精神療法の「生活の発見会」というものがあることも知っていましたが、なかなか入会する踏ん切りもつきませんでした。しかし、もう他に救われる道はないという追い詰められた気持ちでこの会に入会しました。入会すると、初心者向けの講習会があり、約3ヶ月くらいだったと思いますが、森田正馬(注:森田式精神療法の創始者)の考え方などを学びました。森田の考えは極めて明快で分かりやすく、これで自分も救われると思うと随分と気持ちが楽になりました。しかし、この頃のわたしの理解は表面的であったと思います。それでも分かった積りで心が楽になるのですから、神経症が心の病たる所以だと思うのです。例えば、森田はあがりや緊張などの感情をそのまま受け入れるということで「あるがままに受け入れる」と云うことを強調します。その頃のわたしは、会議などで緊張し、あがってくると、心の中で「あるがまま、あるがまま」と念仏を唱えるようにして、その感情と闘わないようにしていました。これは効果があったと思います。これでかなり緊張やあがりが少なくなったと感じていました。しかし、それでもわたしはまだあがりを克服出来たとは全く思っていませんでした。なんとかあがらないようにすることは出来ないだろうかと思っていました。つまり、まだあがることを敵視していたのです。当時のわたしはまだ森田が言う「誰にでもある感情をことさら異端視し」ということが理解できていなかったのです。
 実は、これはある偶然から理解することが出来ました。わたしの上司の役員と一緒に、ある大きな会議に出たときのことです。役員ですから多くの部下の前で話すことも多く、堂々とされている方でした。ところが、その横に座っていて分かったのですが、この役員であっても大勢の前で話すということはかなり緊張するものらしく、体が小刻みに震えているのが分かったのです。わたしは、こういう人でも緊張するのだなと妙に感心しました。この役員があがり恐怖症で苦しんでいるということはまず無いと思いますが、このとき、わたしは、なぜ、こうも緊張する人が恐怖症で苦しまないのだろうかと考えたのです。そして、こういう人たちは、緊張して当たり前だと思うから、苦しまないのだろうと思い至りました。まさに、こういう人たちは、「誰にでもある感情をことさらに異端視しない」のだと思ったのです。
 その後、メッカジャパン(注:お茶の水メンタルクリニックの前身)がフォビア克服講座をやっているのを知りました。この講座には色々な恐怖症や神経症で悩んでいる方が参加し、自分たちの悩みを打ち明け、互いに克服の道を見つけようとしていました。講座は森田式精神療法の考え方に沿っていましたから、わたしには全く抵抗がありませんでした。このとき、わたしはある赤面症の方と話をしていて合点しました。この方は赤面症で苦しんでおられましたが、あがりということでは全く恐怖を感じないというのです。この方もあがって困るということがあるが、それは人間である以上当たり前であるというのです。つまり、この方はあがるということを「問題視していない」ということなのです。わたしは、このとき森田が言う「誰にでもある感情をことさら異端視し」という意味が分かると同時に、「あがって困る」ということと、「あがることに恐怖を感じる」ということは別物なのだということに気が付きました。それまでのわたしは、結婚式場の挨拶などで、あがってしどろもどろになっている人など見ると、あの人もわたしと同じ恐怖症を持っているに違いないなどと勝手に思い込んでいました。そして、同類相憐れむような気持ちで、自分も苦しくなったりしたものでしたが、実はそうではなかったのではと思うようになりました。
 この講座での収穫は大きく、その後、会議などで緊張してくると、周りを見渡して出席者の表情などを見ることにしました。すると、なんとなく他の人も緊張しているのが分かるのです。自分だけでは無いと思うと、必要以上に緊張しなくなって来ました。それまでは周りを見る余裕など全くありませんでした。自分ひとりが緊張していると思い、それと必死で闘うという一人相撲を取っていたようなものです。これが分かってからは、いままで大会議が近づくと不安と恐怖で眠れなくなったことがウソのように眠れるようになって来ました。もちろん、会議で上手く発言できるだろうかという不安はあるのですが、それを必要以上に心配しなくなったということなのです。おそらく、この程度の不安は神経症で苦しんだことがない健常者でもあることだろうと思います。
 正直言って、まだ会議で緊張したり、あがったりでしどろもどろになることはあります。しかし、以前はこうした失敗をあとあとまで引きずっていました。それが恐怖となって積み重なって来たと思うのですが、いまはそういうことが無くなりました。失敗は失敗として受け止め、次はもっと上手にやろうという反省材料として冷静に考えることが出来るようになったと思います。以前でしたら、もう失敗が恥ずかしく、次のことなど考える余裕など全くありませんでした。それが現実は現実として冷静に受け止められるようになったのですから、自分でも随分進歩したと思っていますし、精神的にも大分楽になったと思います。

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