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体験談

不潔恐怖-30代男性、フリーター

 わたしの不潔恐怖が始まったのは小学校の高学年の頃からでした。理科の時間に顕微鏡で黴菌の毒々しい姿を見て物凄く不快な気持ちになりました。それからは、自宅でも学校でも机の上に黴菌がうようよいるような気持ちになって、まず、雑巾で綺麗に拭かないと勉強できなくなりました。そのうちに、その雑巾から黴菌が手に移って、手が黴菌まみれになっているのではないかと恐れるようになりました。それから手を頻繁に洗うようになりました。洗面所の石鹸がすぐに無くなってしまうので母からは、どうしてそんなに手ばかり洗っているのかと呆れられ、怒られることもしばしばでしたが、どうにもなりませんでした。中学生になってから、近くの大学病院の精神科に通いましたが、効果はありませんでした。この頃は、自分も両親もこれは深刻な病気なんだと諦めていました。医者でも薬でも治らなかったものですから、どうにもならないものだと思い込んでしまいました。最もひどい頃は石鹸も日に2,3個は使い切ってしまう有様で、家計の負担になっていたと思います。

 
 高校を卒業してからコンピューターの専門学校に入りました。コンピューター関係の仕事なら清潔な職場で働けるのではと思っていたからです。卒業後、あるソフト開発の会社に就職しました。ところが、仕事場はいつもデーターや様々な資料が乱雑に散らばっているようなところで、とても清潔とは言えませんでした。自分専用のパソコンで仕事をするには問題が起きませんでしたが、高度な機能を持ったパソコンは何人かで共有して使っていたため問題が起きました。ほかの人が使ったあとにキーボードを打つと、手が汚れたような感じがして、すぐに手を洗いに行かなければなりませんでした。職場の同僚に気が付かれないようにこっそりと行っていたのですが、気が付かれないはずがありません。上司と人事評価の面接のときに、これに付いて訊かれたのにショックを受けました。そのときは、清潔好きなものでと言って切り抜けましたが、これ以来、手洗いに行きにくくなりました。そうなると、一層、この事が気になり仕事になりません。適当な理由を作って外出しては喫茶店で手を洗うなど通常では考えられないようなことをしていました。しかし、こういうことがいつまでも続けられるはずがありません。入社して2年くらいで、ある程度仕事を覚えましたので、退社して、独立することにしました。いままでいた会社や、仕事で関係があった会社から開発の仕事を貰って自宅で作業することにしたのです。この頃は実家を出てアパートで暮らしていましたから、家賃だけでも大変でした。生活するために必死で働きました。仕事は納期どおりにきちんとしていましたから、順調に仕事は増えていましたが、大きな仕事となると、自宅では出来ないこともあり、発注先の会社に出かけて、先方のコンピューターを使わざるを得ないことも多くなり、何のために独立したのか分からないこともありました。このままでは、せっかく独立したのに、仕事が続けられないのではないかと不安を覚えるようになりました。そのとき、インターネットでこのクリニックのことを知り、藁をもつかむような気持ちで相談しました。初めの頃、先生から足の匂いとか不潔感とかは気になりませんかと訊かれたときには、なぜ、そんなことを訊くのだろうと思いました。手と足では全然違うと思ったからです。すると、先生が、「あなたの理屈から言えば、足の不潔のほうが問題じゃないのか。素足で家中を歩いていたら部屋中にばい菌をばら撒いていることなる。なぜ、それが気にならないのですか?」と言われたときには、めちゃくちゃなことを言うと反発を感じました。先生は対人恐怖だったと伺っていましたから、不潔恐怖の心理は理解できないのだろうと疑ったりもしました。ところが、そう言われてから、この事が頭から離れなくなりました。「どうして足の不潔は気にならないのか」が、わたしのテーマになりました。先生は、「足は汚くて当たり前だと思っているからだ。手だって、その不潔さは足と五十歩百歩でどんなに洗ったってばい菌を取り去ることはできない。健常者はそれを当たり前のことと思っているから平気なのだ。実は、あなたも足の不潔については健常者と同じように当たり前と考えているから気にならない。つまり、あなたの心の中にはちゃんと健常者と同じ感覚があるのだ。それを手についても同様に感じられるようになることが克服への道なのだ」とおっしゃいました。わたしはすぐに割り切ることは出来ませんでしたが、不潔を当たり前と感じることがどういうことなのかが少し分かりかけたような気がしました。自分も足についてはそれが出来ているということなのですから。そして、それまでは、不潔感を取り去ることばかりが頭を支配していましたが、不潔を不潔のまま受け入れるということがどういうことなのかが少し分かったような気がしました。そして、自分が足についてその不潔に無関心であるのと同じ心理状態が手についても出来ないのだろうかと思い始めたのです。
 
 まず、自分は足についてはどういう心理状態なのかを内省してみました。一日中歩き回ったあとなどは、靴下もべとべとで悪臭を放って、いかにも不衛生なのですが、そのこと自体はさほど気になりません。ただ、汚い靴下が手に触れたとなると、それからの手洗いが大変になるだけです。しかし、足を手のように洗おうという気持ちにならないのはどうしてなのかが不思議です。ばい菌だらけの足をそのまま放置する心理状態が不思議です。しかし、これが「当たり前のことと思う」ということなのだと分かって来たような気がしたのです。
 
 先生に、このことを言いますと、先生が「少し分かってきましたね。あなたは不潔感がどうしても取り去れないものだと繰り返し訴えていたけれども、あなたの心の中に不潔感を感じない心もあるということに気が付き始めたんです。足だって、不潔だと思おうと思えば思えるのに、それが不潔恐怖にならないのは、不潔であるのが当たり前だと思っているからだ」とおっしゃるのです。そして、「手も足も同じあなたのものですから、足と同じように、手についてもその不潔に無関心になれるということでしょう」ともおっしゃいました。わたしは、やっぱり手と足では事情が違うと心の中で思いましたが、足のように無関心に出来るものなら、ぜひそうしたいとも思いました。
 
 先生は、まず、「手を洗いたい衝動は永い間の癖ですからすぐに治すのは無理です。洗いたくなったら洗って構いません。ただ、洗いたくなったときでも、仕事を優先して、仕事が終わってから手を洗うようにしてください」とおっしゃるのです。つまり、洗いたい気持ちをそのままにして、優先すべきことを先にするということを繰り返しやってみたらどうかと言うのです。しかし、これもそう簡単ではなく、仕事の途中で手を洗いたい衝動が突き上げて来るのです。そうなると、もう手を洗わないとパニック状態で仕事が手につかないのです。それを先生に言いますと、「無理に衝動を抑える必要はない。衝動を抑えようとするから余計にそれに捉われてしまうのです。どうしても手を洗いたくなったら洗っても構わないけれども、まず、仕事を優先するということを意識して、仕事に支障が出るようなら絶対に洗わないという気持ちでやってみたらどうか」とおっしゃるのです。それからは、仕事に支障が出るだろうかと気にしながら手洗いに行くことになりました。すると不思議なことに、以前は仕事にお構い無しに手洗いに行っていたのに、仕事の進捗状況がまず気になり、手洗いはその次となって来ました。仕事に没頭していると、あとで今日は永い時間手洗いに行かなかったなと気が付くことがあって、自分でも驚いたことがあります。それまでは一日24時間、手洗いのことばかり考えていたような気持ちであったのが、それを忘れる時間があるということに驚きました。それを先生に報告すると、「そうでしょう。仕事に没頭すれば無理に手洗いを止めようなどと考えなくても自然に頭から離れるようになるのです。それが分かれば大きな進歩です。その調子で繰り返してください」と言っていただきました。
 
 それからは当たり前のことなのですが、まず目先にある仕事を優先するということを意識していました。手洗いの衝動はありましたが、無理に抑えることもしませんでした。不思議なことに以前は、手洗いの衝動に負けて洗うたびに敗北感のようなものがあり、自分を責めていました。しかし、自分も仕事に没頭すれば手洗いを忘れることが出来るということで自信を深めていましたから、さほど責めることはなくなりました。それからは、先生に、「今日は朝から仕事で忙しくて夜まで手を洗うことを忘れていました」とか、「今日はトイレに行ったとき以外は手を洗いませんでした」とか報告できるようになりました。いまでも、トイレ以外に日に数回は手を洗うこともあります。しかし、以前のような罪悪感はなく、自然な気持ちとして受け入れられるようになりました。おそらく数回でも普通の人よりは多いと言われるかもしれませんが、手洗いを止めなければという脅迫と闘っていたときの苦しい気持ちはありません。先生にも、「まだ、手を洗ったとか洗わなかったとかが気になるかもしれないけれども、やがて、そういうことすら考えなくなるときが来るから、けっして、洗いたい衝動と闘ってはいけません」と言われています。
 
 相談を始めた頃、先生に、「なぜ、足の不潔は気にならないのか」と問われたときには、少しびっくりしましたが、ようやく、手の不潔も気にならないのが当たり前なのだということがどういうことなのかが分かってきました。そして、自分は永い間、闘ってはならない、あるいは闘っても勝てない衝動と闘ってきたのだということに気が付いたと思うのです。
 
 

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